ゆかりの地巡り
立花宗茂のゆかりの地を巡る地図をご覧ください!
柳川の城下町を散策してみてはいかがでしょうか。
柳川市内
Point 三柱神社
戸次道雪、立花宗茂、誾千代の三人を祭神として祀る神社。
九代藩主・立花鑑賢により建立された。
Point 真勝寺
田中吉政公菩提寺。宗茂公建立の寺を吉政公が現地に移し、自分の墓とするよう遺言。
宗茂公復帰後も代々立花家が守ってきた。
Point 金剛院(稲荷社)
柳川市京町にある。現在の名は金剛院棚倉稲荷神社。
Point 玉樹院
田中吉政公次男の菩提寺。宗茂の継々室・菊子(長泉院)のお墓がある。
立花家二代目藩主忠茂の正室・玉樹院の遺髪を納め寺号を崇安院から玉樹院へと改めた。
Point 台照院
本堂内『妙見社』は、加藤清正と宗茂を合祀している。
Point 良清寺
誾千代の菩提寺。
Point 瑞松院
宗茂の継室・八千子の菩提寺。遺髪が納められている。
Point 天叟寺(天叟禅寺)
宗茂実父・高橋紹運と正室・宋雲院の菩提寺。
Point 日吉神社/太郎稲荷
1290年に近江の日吉神社を勧請したのがはじまりの由来。蒲池家・立花家と続く柳川城鎮守社となる。境内の太郎稲荷は、立花山城以来の明神の庇護が柳川の地を離れている間も続いていることに感謝した宗茂が、福島県棚倉を治めていた際に社を建立し祀っていたものを、再封後に柳川城内に遷し、社を建てたもの。
Point 田中吉政公銅像
関ヶ原の合戦後に宗茂が改易となり、入れ替わりで筑後柳河藩を治めた田中吉政公の銅像。
Point 柳川城址
戦国時代は難攻不落の名城として知られたが、明治5年に出火により焼失。
現在は柳城中学校の校庭の一角に小浜と石垣の一部が残っている。
Point 福厳寺/立花宗茂公墓(柳河藩主立花家墓所)
旧柳河藩主立花家の菩提寺。立花家歴代の肖像がある。
Point 宮永様居館跡
宗茂の柳川入城後に誾千代が居住した館の跡。
館のあった地名から、誾千代は別名『宮永様』とも呼ばれている。
Point 米多比隅
かつて米多比家屋敷があり、城下と場外の境界を守っていた場所。
Point 御花/立花家史料館
5代藩主貞俶(さだよし)公が二の丸より建物を移築、本丸と別に建てた別邸。
現在は庭とともに立花氏庭園として国の名勝に指定されている。
Point 旧戸島家住宅
元は藩士の隠宅で、後に藩主の茶室になった。
建物は県指定有形文化財、庭園は国指定名勝。
Point 十時邸
柳川に現存する最古の武家屋敷のひとつ。
柳川市外
Point 立花山城
糟屋郡新宮町。1571年、大友宗麟により戸次道雪が城督に任じられ、誾千代が継ぎ、島津氏との戦いでは宗茂が守り抜いた。
Point 梅岳寺
糟屋郡新宮町。戸次道雪と、その母・養老院のお墓がある。
Point 岩屋城跡
太宰府市。大友氏と島津氏との激戦地。この激戦により、紹運はここ岩屋城で亡くなった。
Point 北野天満宮
久留米市北野町中。戸次道雪は戦の最中に病に倒れ、この辺りで亡くなったと言われている。
Point 善導寺
久留米市善導寺町。室町時代に焼失したが、田中吉政の帰依を得て復興。
平成28年に、誾千代のお墓が見つかった。
Point 上庄八坂神社
みやま市瀬高町上庄。別名・上庄祇園宮。
県指定有形民俗文化財の神事『大人形』は、関ヶ原合戦に敗北した宗茂が棚倉(福島県棚倉)を治めていたときに見た夢に由来する。
Point 来迎寺
みやま市瀬高町上庄。
塩塚城主、蒲池鎮漣の弟の統安は耳川の戦いで討死。嫡子鎮貞も、龍造寺氏との柳川の戦いで討死。次男の応誉は僧籍にあり、瀬高上庄の来迎寺の第四世住職を勤めていた。
藩主として柳河藩に戻った立花宗茂に招かれ、宗茂の正室・誾千代の菩提寺である良清寺を開き、その初代住職となった。
Point 三笠神社
大牟田市鳥塚町(熊野神社横)。三池藩7代藩主により建立。紹運を祀っている。
Point 上八院伊弉諾(イザナギ)神社
三潴郡大木町。江上・八院の戦いの合戦地。
関ヶ原の戦い後、柳川へと戻った宗茂と鍋島軍が戦った。
Point 荒人神の祠
三潴郡大木町。江上・八院の戦いで亡くなった、立花・鍋島両軍の死者を祀っている。
Point ぼたもちさん
熊本県玉名郡長洲町。誾千代の墓所。
名前の由来は、墓石の形状がぼたもちに似ていることからつけられた。
動画で見る
PV第一弾「宗茂と誾千代」
PV第二弾「稲妻」